清濁併せ呑むということ
組織に所属して仕事をしていると、調整と言う仕事がかなり多くあります。営業と言っても調整のようなもので、事務であっても取引先の事務に確認をとって調整する。サラリーマンをしているとそういう仕事に必ず出会います。
そんな時、自分自身の意思を貫けるでしょうか。それともお年どころを見つけるでしょうか。いわゆる「清濁併せ呑む」という状況ですが、私はできる限りこれは行うべきでないと思っています。
そんな時、自分自身の意思を貫けるでしょうか。それともお年どころを見つけるでしょうか。いわゆる「清濁併せ呑む」という状況ですが、私はできる限りこれは行うべきでないと思っています。
先日、NHKの爆笑問題が出ている番組で、早稲田大学でのトークセッションがあったらしく、その模様が放送されていました。そこでこんなやり取りがありました。
「食品偽装が起こった場合、君はどうするの?」
「告発します。」
「じゃあ君が結婚していて、子供もいて、会社がなくなったりクビになったら明日から生活が立ち行かないとなったらどうするの?」
「・・・・・・」
といった感じのやり取りです。
早稲田大学の学生が悪いわけではありませんが、これこそまさに「清濁併せ呑む」といういい事例だと思いました。「勤めている会社が食品偽装をしている、でもそれを公表してしまうと自分の雇用までもなくなってしまう…なら公表しないほうがいいのではないか?」そう思うのもある意味自然ではあります。ですが、これが認められるならば見つからなければ何をやっても良い、「赤信号みんなでわたれば怖くない」という状況に陥ります。
例えば児童買春の問題がタイやカンボジアなどのアジア諸国では未だに行われています。児童買春を行う人には日本人も当然ながらいるとのことです。しかし児童買春は倫理的には悪いことだと多くの人は感じると思います。しかしここで「清濁併せ呑め」ば「児童買春で途上国も潤ってるから必要悪である」といった結論になってしまいかねません。そして、児童買春が引き続き継続される可能性が濃厚です。
この「清濁併せ呑む」という態度は日本独特のものなのかもしれませんが、この態度が解決を先延ばしにしていることは多々あります。一般的には会社内での会議などがいい例でしょう。色んな意見がある中で、絶対的に正しい意見があったとしても他の意見との間を取って「落とし所」を見つけて結論とするというのは、誰もが会議で経験したことがあるのではないでしょうか。
こういった「清濁併せ呑む」場面というのはたいてい「前提」が存在します。食品偽装の問題で言えば
・「男手1人で稼いでおり、妻は専業主婦」
・「周りは誰も育児を助けてくれたりしない」
・「解雇された後、再就職することが非常に難しい」
という前提が考えられます。そしてこの前提を無意識の間に学生は考慮しているため、言葉に詰まったのではないでしょうか。
こういう前提というのはよく考えてみると十分改善できる部分があります。妻にも働いてもらい、親に子育てを手伝ってもらい、失業給付中に手に職をつけて再就職をするという道も考え方によっては残されているはずです。こういった「第3の道」を探そうとはせず、「AかBか」という二項対立の状況を作り出してしまうのは、社会にとっても自分自身に撮っても損になると思います。会社の会議では清濁併せ呑んだため、第3の道を選びましたが、それはただ単に妥協の産物としての結論であり、ベストの結論ではなかったと言えます。
いづれにしても「清濁併せ呑む」というのはあまりいい方向へ進むことはありません。日本の文化と言えばそれまでですが、本当に必要なこと・社会正義にかなうこと等は周りの意見を無視して突っ走ってもいいと思っています。
いつもありがとうございます。ブログランキングへのクリックよろしくお願いします。


「食品偽装が起こった場合、君はどうするの?」
「告発します。」
「じゃあ君が結婚していて、子供もいて、会社がなくなったりクビになったら明日から生活が立ち行かないとなったらどうするの?」
「・・・・・・」
といった感じのやり取りです。
早稲田大学の学生が悪いわけではありませんが、これこそまさに「清濁併せ呑む」といういい事例だと思いました。「勤めている会社が食品偽装をしている、でもそれを公表してしまうと自分の雇用までもなくなってしまう…なら公表しないほうがいいのではないか?」そう思うのもある意味自然ではあります。ですが、これが認められるならば見つからなければ何をやっても良い、「赤信号みんなでわたれば怖くない」という状況に陥ります。
例えば児童買春の問題がタイやカンボジアなどのアジア諸国では未だに行われています。児童買春を行う人には日本人も当然ながらいるとのことです。しかし児童買春は倫理的には悪いことだと多くの人は感じると思います。しかしここで「清濁併せ呑め」ば「児童買春で途上国も潤ってるから必要悪である」といった結論になってしまいかねません。そして、児童買春が引き続き継続される可能性が濃厚です。
この「清濁併せ呑む」という態度は日本独特のものなのかもしれませんが、この態度が解決を先延ばしにしていることは多々あります。一般的には会社内での会議などがいい例でしょう。色んな意見がある中で、絶対的に正しい意見があったとしても他の意見との間を取って「落とし所」を見つけて結論とするというのは、誰もが会議で経験したことがあるのではないでしょうか。
こういった「清濁併せ呑む」場面というのはたいてい「前提」が存在します。食品偽装の問題で言えば
・「男手1人で稼いでおり、妻は専業主婦」
・「周りは誰も育児を助けてくれたりしない」
・「解雇された後、再就職することが非常に難しい」
という前提が考えられます。そしてこの前提を無意識の間に学生は考慮しているため、言葉に詰まったのではないでしょうか。
こういう前提というのはよく考えてみると十分改善できる部分があります。妻にも働いてもらい、親に子育てを手伝ってもらい、失業給付中に手に職をつけて再就職をするという道も考え方によっては残されているはずです。こういった「第3の道」を探そうとはせず、「AかBか」という二項対立の状況を作り出してしまうのは、社会にとっても自分自身に撮っても損になると思います。会社の会議では清濁併せ呑んだため、第3の道を選びましたが、それはただ単に妥協の産物としての結論であり、ベストの結論ではなかったと言えます。
いづれにしても「清濁併せ呑む」というのはあまりいい方向へ進むことはありません。日本の文化と言えばそれまでですが、本当に必要なこと・社会正義にかなうこと等は周りの意見を無視して突っ走ってもいいと思っています。
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